昨今、「発達障害」という言葉をいたるところで耳にします。
発達障害についての認知や理解は社会的にも拡がってきているように思います。
ただ、
それでもまだよく知られていなかったり、
ステレオタイプ的に知っている(知ったつもりになっている)
というだけの人も多いのが現状です。
そして、
「発達障害」の特徴が取り上げられることが増える程に、
そのステレオタイプ的な理解も増えていくということが懸念されます。
私は子どもの心理カウンセリングや心理療法を仕事にしており、
そこでたくさんの子どもと家族と会ってきました。
その中には、発達障害を抱えた子どもやその家族との関わりも多くあります。
そこで経験してきたことを踏まえて、
大切にしたいこと、多くの方に伝えたいことがあります。
発達障害の人は、
発達障害による何かしらの特性によって生き辛さを経験していることがあり、
そういった経験をあまり理解してもらえないことに苦しんでいることもあります。
自分が感じていることや考えていることが相手に聞いてもらえない、見てもらえない、理解してもらえないということはとても苦しいことです。
発達障害の人にも、当然、性格があり、心があります。
そこが抜け落ちた理解や支援を受けてしまうことは、場合によっては、
発達障害による何かしらの特性に苦しむその人を別のかたちで傷つけてしまうことさえあります。
私が関わったあるお母さんは、
自分のお子さんの発達障害をとても一生懸命理解しようと、様々な本を読み、様々なセミナーにも参加され、多くの専門家の助言を受けてきました。
ですが、
あることをきっかけにお子さんが心を病んでしまい、心理療法を受けに私のところを訪れました。
私はそのお子さんの生い立ちを聞きながら、
お母さんがどのように頑張ってきたのかということに耳を傾けました。
そのお母さんは、赤ちゃんの頃の我が子のことをとても事細かに生き生きと語ってくれました。
しかし、
「発達障害」と診断されてからの我が子についての語りは、
それまでの大変だったけれど、生き生きとした我が子についての語りではなく、「発達障害」についての語りとなっていることに私は強い違和感を抱きました。
そこで、
お母さんにお子さんはどんな性格でどんな個性を持った子どもなのかということについて尋ねてみました。
すると、
お母さんは突然涙を流しました。
「そんなふうに聞いてもらえることがなかった。「発達相談」と言われてから、そのことで頭がいっぱいになっていたように思います。私はいつの間にかこの子を「発達障害」としてしか見ていなかったのかもしれません。この子の性格や個性なんてここ数年まったく見てこなかった。」
私はこのお母さんとのこのやりとりが今でも忘れられないくらい強く印象に残っています。
このお母さんのような経験をしている人はたくさんいます。
もちろん、そうではない人もたくさんいるとも思います。それに診断名や病名ということは「発達障害」に限らず、他の名前に関しても同じように言えるかもしれません。
ただ、今回は「発達障害」を取り上げて考えていこうと思っています。
それだけ今、社会的に関心が高いテーマでもありますし、実際に心理相談や発達相談の場に「発達障害」に関する相談がすごい勢いで増えている現状があるからです。
「発達障害」がただのレッテル貼りや、ステレオタイプ的な理解や支援のための言葉にならないことを強く願っています。
そこで、「発達障害の子どもとの関りに「心」を忘れないことのススメ」を綴っていきたいと思いました。
もし、よろしければどうぞお付き合いいただけますと嬉しいです。
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